長崎バスユニオン 執行委員長 『長崎バスユニオンの闘い』
「先日、東京で月刊労働組合の春闘研修会で闘争報告をしました。 腕章をして1年半、昔は闘争時期
は毎年しており、ごく自然な事だが最近は珍しいと言われます。 長崎バスの労働組合は分裂と統合
を繰り返してきました。 1956年に長崎自動車労働組合(私鉄総連)が分裂し、新しく作ったのが、
長崎バス労働組合で交通労連に加盟、以後48年間の分裂の歴史が続く。 この間は、総評と同盟の
状況で組合どうしの争い。 組合員の獲得でガイドさんも取り合い、加入させる為に自宅回りなどもあ
った。 春闘時期は毎年のようにストライキをやり、大手なみに賃金は上がった。
2004年に上部団体の私鉄総連などの4産別が組織統合するという事で並行して進んだ。 しかし、
産別統合は破綻した。 こちらは合併大会まで決めており、やめられないと2つの組合が合併した。
そして過去ストライキで勝ち取った制度が次々と崩されていった。 運転手は事故はつきものですが
ケガもないのに業務上、電車との接触事故で重い停職処分となった。 お客様の苦情で退職に追い
込まれたり、長期に渡り乗務させないなど拡大していき、乗務員の不満が増大していった。
乗務前アルコール検査で反応が出たら一発解雇となり、基準値0.15以下でも退職に追い込まれた。
私の営業所でも本社に呼ばれ肩たたきで退職に追い込まれたりと、20人以上が不満を持ちながら辞
めていった。 解雇や依願退職者が相次ぎ、全体で50人乗務員が足りなくなった。 人が足りず休み
でも呼び出し、休みもとれない。 組織統一したのは私なので、先輩には申し訳ないが、これじゃイカン
と、やらざるをえなくなった。 新しい組合を立ち上げようと準備をして、68名で2015年12月14日に
長崎バスユニオンを結成しました。
結成当初からあらゆる組合差別が起きた。 これまで多数組合には事務所に会議室も無料で貸してい
るが、いまだに与えてくれない。 掲示板も元々は2つあったのに、仮掲示板で小さい所。 これまでの
団体交渉中は11名まで出勤扱いで賃金保障があったが、第1回目の団交から保障しない。
会社の回答は、多数組合から団交の賃金保障はしなくていいと申し入れがあったという。 組織攻撃を
受けながらも2016年3月まで毎月10名以上組合員が入ってきたが100名を超えてパッタリ止まった
のは車両問題。 年功順で担当車制度があり、自分のバスに乗れるのは賃金以上に労働条件の一部。
会社は組合を変わるとバスを取り上げ、新車の配分も組合員の人数で決めると強行してきた。
団交を5回も6回も続けたが、
11月のストライキまでもつれていった。 地区労の
支援共闘会議が12月
に発足した。 さらに県の労働委員会に、11項目の不当労働行為の救済申し立てを起こし、2017年8
月に和解案が出された。 バスをダイヤに割り振れば平等になるというオールフリーの提案をこちらは受
け入れる事にしたが、和解案を拒否した会社側は強行姿勢に転じ10月には組合員への不当懲戒処分
と不当配転を強行し、
10月2日〜3日処分の撤回と凍結を求め全面ストライキへと発展した。 さらに毎
日、地区労車による街宣も行った。 すると会社は私たちの組合員には公休出勤や残業をさせないで、
団交を申し込んでも審議は尽くされたと、団交拒否をしてきた。
11月16日本社前で抗議行動を行った。 団交に応じるよう求めたが、会社は拒否してきたために、
12月6日ストライキへ突入した。
12月9日や
12月16日には鉄橋で街宣行動とビラ配布も行った。
そして12月28日に団交を再開した。 午後からは組合員4名の不当な懲戒処分と強制転勤の無効を
求めて、長崎地裁に提訴し、県庁で記者会見を行った。 2018年2月9日に第一回の口頭弁論が始
まります。 私たちの闘いは憲法に基づいた合法的な闘い。 長期的な闘いだが安心して働く職場を
求めて、一丸となって闘っていきたい。」
最後は参加者全員の団結がんばろうで終了しました!