第111回9の日平和学習会
第2回原水禁・NPT学習会


日 時 2019年11月8日(金)18:30〜
場 所 長崎地区労会館・2F大会議室


主 催 長崎地区労/長崎県被爆二世の会
全国被爆二世団体連絡協議会 会長 (長崎県職員連合労働組合 前執行委員長)
「第2回原水禁・NPT学習会を共催で開催します。 2020年のNPT再検討会議に、代表派遣しよう
 と準備しています。 運動を担う若い人にこれまでの運動を学んで考える機会にして頂きたい。」


長崎地区労 議長 (全国被爆二世団体連絡協議会 副会長)
「私も被爆二世で、学校の教員をしています。 平和教育では、戦争の被害と加害と、抵抗の歴史を
 学ばせるべきだと。 中学生は平和活動している人へインタビューもしました。 なぜ労働組合が、
 平和運動に取り組むのか。 多くの労働者が戦争に駆り出された歴史がある。 労組の機能が果
 たせなくなった時に、戦争への道へと進んだ。 自分の事として捉えて考えていきたい。」   
長崎県労働組合評議会 元事務局長 『原水禁運動のこれまで、そしてこれから』
「原水禁運動の原点は被爆が原点であり、3・1ビキニデーであった。 1954年3月1日に、マグロ
 漁船第5福竜丸がアメリカの水爆実験で被爆した。 危ないと魚屋や寿司屋は当時パニックになり、
 お母さん方が5月から署名を始め、翌年3200万筆を超えた。 船長は9月に亡くなり犠牲になった。
 被爆者運動の署名が原水禁運動の始まり、1955年8月6日被爆10周年に第1回の原水禁大会が
 広島で行われ、長崎でも松山小の講堂に3千名が結集した。 ビキニ被災は大きな影響があった。
 やがて同盟系の組合が脱退し、核禁会議ができあがった。 1960年ソビエトが核実験をして、大会
 

 は大混乱。 いかなる国の核にも反対という社会党系は原水禁。 ソビエトの核は認めるという共産
 党系は原水協となる。 県労評はいかなる国の核の貯蔵・実験・使用・拡散に反対し、核の全廃を求
 めて確立し、新たな運動が始まる。 被爆20周年から今の原水禁大会が運営されている。 
 2011年3・11の福島原発事故までは、共産党系は原発の利用を認めていたが、今ではNOとなっ
 た。 ’80年代から労線統一の議論が活発化し、連合が結成した。 原子力の平和利用を認めてい
 るので連合主催ではできなくなった。 そういう分裂と統一を繰り返し進んだ運動の歴史がある。 
 

 長崎には原水禁運動の水脈がある。 1974年から始まった核実験の抗議。 反むつ闘争の後に、
 始まった反核9の日すわりこみ。 私が言いたいのは独創的な運動、誰でもどこでも気軽に参加でき
 る運動を展開しないといけない。 ’85年、核を滅ぼすか核に滅ばされるか被爆40周年。 当時は
 反核行動でカンパの連続でした。 被爆者援護法を制定させましょう、非核宣言の家ステッカーは、
 今でも玄関に貼ってある家がある。 核兵器廃絶で長崎の鐘を送る運動を始め、目標2千万円で3
 千万円を超えるカンパが集まった。 レニングラードや、中国の瀋陽、ホノルルへ贈呈し建設した。
 

 レニングラードはナチスの侵攻で戦場になり70万人が犠牲になった。 南満州で爆破した関東軍、
 誤った侵略戦争をお詫びして瀋陽の公園に設置した。 ハワイでは真珠湾に決め、日本のモニュメ
 ントを建てると一晩で破壊されると言われたが、今も長崎の鐘は記念公園にある。 
 脱原発運動も継承しなくてはならない。 1979年アメリカのスリーマイル島の原発事故、1986年
 チェルノブイリ原発事故でも日本政府は、日本は最高の技術だから原発は絶対安全、事故を起こさ
 ないと言われてきた。 2011年3・11福島原発事故で国民は原発いらないと運動が高揚を迎えた。
 

 核と人類は共存できない。 1975年の被爆30周年の大会基調に出た。 原水禁は核の軍事利用
 も平和利用も認めない。 核絶対否定を確立した。 核兵器禁止条約は長年の闘いの成果であり、
 核の貯蔵も認めない。 33ヵ国が批准し時間の問題、来年中には発効する可能性が大。 
 核兵器廃絶1000万署名を、連合・原水禁・核禁会議で取り組んでいるが、署名用紙が2種類あり、
 一方には原子力の平和利用をめざしていますと、わざわざ書いてある。 署名の成功は連合が握っ
 ている。 1989年の連合結成当時の文書に、働く人たちがよりどころとなる連合、改革者としての


 連合、平和を飽くことなく追及する連合とある。 さあ統一して前進だというタイトルを思い出してもら
 いたい。 当時の新聞各社は労働運動の夜明け、新たな運動始まるとあるが現実は違う。 なぜか。
 かつてメーデーは働く者の団結で生活と権利、平和と民主主義を守ろうというスローガンだったが、
 連合になって平和が無くなっている。 平和運動や反核運動は走って次の区間の人にタスキを渡す。
 平和闘争とは永久に続く。 その為、ピースランナーを増やし、みんなで参加し目指すのがカンジン。
 今の状況は、原水禁と原水協は、それぞれで毎年やっている。 安保法制から野党共闘まで進化し、


 それなりに共闘している。 延長線上に統一があるが、労働戦線統一のからみもあり、かなり難しい。
 私は連合じたいに懐疑的な立場で、長崎では全国で47番目に連合長崎が結成した。 連合は反基
 地ではない。 平和についての行動が弱すぎる。 基地問題など取り組んだらどうだ。 被爆二世・
 三世のみなさん、高校生平和大使のみなさん、原水禁大会の継承発展をお願いしたい。 最後まで
 みなさんとともに歩き続け、タスキを渡し終わりたい。」


長崎県被爆二世の会 会長 (NTT労働組合退職者の会 長崎地区連絡協議会)
「被爆二世の会では、裁判や国連への働きかけもしています。 被爆継承の問題。 歴史を学びなが
 ら、今後も参加をよろしくお願いしたい。 お疲れさまでした。」