社民党 長崎総支部 前幹事長 『労働組合の歴史』
「明治時代の労働者は労働時間が日の出から日没まで、休憩30分休日は月に1〜2回の低賃金長時間労働。
罰金制度があり昼食が5銭の頃、仕事のミスや上役への文句で1円2円差し引くのがあった。
なんとかしたいと話をしていく中で、組合もなく仲間で賃上げや待遇改善の自然発生的な労働争議が多発した。
資本主義的生産は発達したが労働者の状態は良くならない。 長崎の
高野房太郎がアメリカで労働組合の勉強をして、
日本でも労組を作ろうとした。 組合が結成され労働者のたたかいと連動して社会主義者の活動がはじまると、労働運動者
や社会主義者への弾圧が治安警察法制定によって組合活動が禁止され、労働運動の広がりと大弾圧の繰り返し。
1920年(大正9年)日本初の
メーデー、『万国の労働者団結せよ』がスローガン。 メーデー歌もできていった。
政府は1923年関東大震災を利用して、労働会の幹部を処刑したり、組合活動をなくそうとし、1938年までには
労働組合は壊滅してしまった。
戦後、占領政策の中で労組ができ、労働者自身の運動。 民主化の中で1955年(昭和30年)春闘がはじまった。
現在、労働者全体の要求より、要求をつくっていく事になりすぎていないか。 未組織労働者の対策を含めて、体制を
作る必要がある。
労働者のすべての苦しみの根源は、労働者と資本家の和解できない対立関係にある。 たたかわざるをえない。
労働運動が停滞気味だが、労働者全体の意識、動き、お互いの連帯、信頼でどうつくるか、社会は運動があって変えて
いくことができる。 運動をやめてはいけない。」
長崎地区労 書記長
「歴史を知ることも大切で、労働者として闘いをすすめた結果、発展してきた。 闘いを組めないのが
原因で労働組合の基本ができていない。 闘わない組合は労働組合ではない。
闘いの中から勝ち取っていく事が大切になってきている。」 (労働組合の歴史は
ココから読めます)
労働講座・
第3回目を読む 労働講座・
第5回目を読む