長崎地区労 前書記長
「西坂銭座勤労協のひとりとして、銭座防空壕を残す意義について考えたい。 地区労9の日平和学
習会で
結成宣言し、
スタンディングもずっと立っておられ
170回を超える。 新幹線の橋脚工事で、
2月に立ち退き解体され、15の防空壕群が出てきた。 実際に避難した証言もあり、長崎市や議会
にも要請して取り組みをしてきた。 残るは4つだが、残せる物は残すように広げていきたい。」
銭座防空壕群を保存する連絡会 共同代表 (西坂銭座勤労協 会長)
「爆心地から2Kmの地元に住んでいる私たちとしては、見て見ぬ振りはできないと立ち上がりました。
外国人捕虜が掘り、避難した3人から得た証言を根拠に長崎市議会にも訴えました。 写真の防空
壕はすでに破壊され、ありません。 負傷して写真の防空壕に避難し、捕虜の外国人が水を飲ませ
てもらい、捕虜の医者が看取った証言。 原爆は距離や場所で被害の実相は違います。 残す事で
理解が深まると考えています。 新幹線のトンネルの真下ではないので、中は埋めて出口付近だけ
でも工夫すれば残せると思います。 銭座地区は他にも戦争遺構や原爆遺構が残っていましたが、
跡形も無くなろうとしています。 73年前に何が起きたのか。 街の姿が変わり、今でも風化してい
るのに、後世に残していく必要があるんじゃないかと、これからも要請行動などしていきたい。」