昔の働いている人たちは、自分達の生活を少しでも良くしようと、職場のみんなで集り
労働組合を作り、経営者らに待遇改善を求めて、積極的にみんなで要求していました。


ところが現代では若い人たちほど、上に対し 何も言わず騒がないので、経営陣にとっては
搾取しほうだいの時代となった。 2000年以降は特にひどくなり、正社員になれても酷使され
使い物にならなくなったら捨てられ、派遣やパートは業績しだい、売上げが下がれば経営陣
は責任もとらず、簡単に解雇し使い捨てにしてしまう、といった労働者には最悪の状況です。


長崎は歴史の街で観光の街として陽のあたるところのみが、長崎であるかのようですが、
額に汗して働いた人々の、涙ぐましい、あるいは悲惨な労働運動の物語については、あまりにも
知らされていない・・・と著者の吉田 強氏は語っています。


かつて この長崎の地で、盛んに繰り広げられた労働組合運動。
それは あまりにも過酷な労働条件をなんとか改善しようと 努力した人々の歴史です。 
本編では「明治編」「大正編」「昭和編」とあり、この中から 当時の状況と現代の状況と似ている、
大正編をここでは本から一部抜粋して、ご紹介します。
ストや争議を知らない世代は不幸なのかもしれない。 今ここに長崎の黒歴史を伝えよう。   
働く者は読め!!               大正15年(1926年)12月4日   


職工 、運転手、車掌、車挽、会社のサラリーマンと店員 諸君、
料理人と給仕と雇人 、鉱夫 、全国のあらゆる労働者 諸君!!      


何故 諸君は 毎日毎日 汗と油と塵にまみれて 長い時間コキ使われなければならぬか?  
しかも 何故 諸君の給金はそんなに安いのか?
何故 諸君は 始終 失業の不安におびえて 居なければならぬのか?
何故 諸君の子孫は 諸君と同じ不安な みじめな生活を 続けねばならぬか


それは労働組合をつくらないからだ!!


労働組合は雇い主の横暴をくじき 諸君の利益を保護する 唯一の守刀だ!
労働組合なしに諸君の生活を向上させようとする事は 梯子なしに二階に昇ろうとする事だ
労働組合は 諸君の最善の相談相手であり、これに依って 諸君は本当の世の中を知る事ができるのだ。


労働組合に入り給え=一日早ければ 一日早く 光明に近ずくのだ!
資本家の御用を務める輩が 労働組合を悪口し 組合を圧迫する様な時代に逆行する連中の
逆宣伝にゴマカサれず 今すぐ 組合に入り給え!

これは、大正時代に散布されたもので、時代背景的には大正末期から昭和初期にかけての状況です。
当時の選挙スローガンには、「 富豪に重税・貧乏人に減税 」や「 働くものの生活を保障せよ 」の他に
「 労働者に仕事と職を与えよ 」とあります。 
当時の世情として 日本は空前の大金融恐慌にみまわれていた。
企業の倒産が続出し、失業者も日ましにふえてゆく状況であった、こうした情勢下で 労働者は賃上げどころではなかった。
みずからが 首をつなぐため 賃金引き下げ 労働時間延長をも しなければならないくらい追い込まれていた。
中小銀行がバタバタと倒産していったのも このころである。 国民の生活は苦しくなった。


米騒動、電灯料金値下げ運動、こうしたことは労働者、大衆も経済闘争が政治闘争となり、あわせて労働運動とも発展結合していった。
いわば、昭和初期の暗い不況時代の物語である。印刷工は当時 日給60銭、優秀な熟練工で80銭くらいであった.。
朝8時から午後6時までの10時間労働で、仕事の都合では残業を強いられた。 徹夜のときもあった。
しかし 賃金は時間賃金で 残業手当の割増はなかった。 賞与なし 会社によっては賃金不払いがあっていた。
今日 資本家のやっている事業は、営利一方にて 彼らは利欲のまえには なんら情実を認めず、冷然たる態度で労働者を圧倒している。


われわれ労働者は牛や馬ではない。 又 資本家の従卒的 奴隷ではない。
まさしく一個の人間であり、日本国民である 人類愛を無視した現代社会から 一歩でも切り抜けようと 労働者は団結し一段となって賃金不払い、
遅延、労働時間の延長など 不況の中にあえぐ労働者たちは背に腹はかえられず 自主防衛のためにも立ちあがらずをえなかった。




(長崎であった出来事を年代別に、本から一部抜粋しました。  『年表』を見てください。)


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