当時の世情として 日本は空前の大金融恐慌にみまわれていた。
企業の倒産が続出し、失業者も日ましにふえてゆく状況であった、こうした情勢下で
労働者は賃上げどころではなかった。
みずからが 首をつなぐため 賃金引き下げ 労働時間延長をも しなければならないくらい追い込まれていた。
中小銀行がバタバタと倒産していったのも このころである。 国民の生活は苦しくなった。
米騒動、電灯料金値下げ運動、こうしたことは労働者、大衆も経済闘争が政治闘争となり、あわせて労働運動とも発展結合していった。
いわば、昭和初期の暗い不況時代の物語である。印刷工は当時 日給60銭、優秀な熟練工で80銭くらいであった.。
朝8時から午後6時までの10時間労働で、仕事の都合では残業を強いられた。 徹夜のときもあった。
しかし 賃金は時間賃金で 残業手当の割増はなかった。 賞与なし 会社によっては賃金不払いがあっていた。
今日 資本家のやっている事業は、営利一方にて 彼らは利欲のまえには なんら情実を認めず、冷然たる態度で労働者を圧倒している。
われわれ労働者は牛や馬ではない。 又 資本家の従卒的 奴隷ではない。
まさしく一個の人間であり、日本国民である 人類愛を無視した現代社会から 一歩でも切り抜けようと
労働者は団結し一段となって賃金不払い、
遅延、労働時間の延長など 不況の中にあえぐ労働者たちは背に腹はかえられず
自主防衛のためにも立ちあがらずをえなかった。
(長崎であった出来事を年代別に、本から一部抜粋しました。
『年表』を見てください。)
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