にしおか由香さん (漫画家) 『漫画で伝える戦争と平和』
「8月15日は終戦の日として報道されていますが、12月8日は戦争の始まりの日として報道されてい
なかったと、
山川先生がずっと言い続けられてきました。 新聞各紙は今日を真珠湾攻撃の日だと、
掲載されていました。 言い続ける事は大切だと思います。 戦争をテーマとしたマンガはたくさんあ
ります。 戦中世代の漫画家と、戦後世代の漫画家が、どのように伝えているか紹介していきます。
手塚治虫さんは『紙の砦』で、ご自身の戦争体験を描かれた。 当時、医学生で招集され苦しい訓
練で、漫画を描くことが良心を守る全てだった。 水木しげるさんの『総員玉砕せよ!』は、自伝を
書かれた漫画です。 戦時中ラバウルに出征して爆弾で左腕が吹き飛ばされ、『ゲゲゲの鬼太郎』
は右手一本で描かれた漫画。 総員玉砕の命令でも何人かは生き残った。 玉砕せよとは、死ね
という事なので、生き残ったのは命令違反と、自決を命じるという不条理が描かれています。
『あしたのジョー』の、ちばてつやさんも満州引上げの漫画を描かれ、当時の漫画や雑誌の編集者
にも戦争体験者がいました。 原爆のテーマでは、中沢啓治さんの有名な『はだしのゲン』。 ゲン
が広島でたくましく生き抜いていく話。 1973年から週刊少年ジャンプに連載され、編集長がこう
いう漫画も載せないといけないと言う意図で掲載された。 図書館でも見れますが、単行本の内、
2巻がボロボロで、原爆投下の時が繰り返し読まれています。 大学の漫画研究者たちの話では
原爆の長編はほとんどなく、短編集はたくさんあります。 『ベルサイユのばら』の池田理代子さん、
赤塚不二夫さん、なども描かれています。 共通するのは主人公や初恋の人が亡くなっていく話。
白土三平さんの『消えゆく少女』は主人公の雪子ちゃんが広島で被爆し、彼女を助けたのが朝鮮
から強制連行され、山に逃げていた男性。 身分差別をリアルに描かれ、弱者の目から見た原爆。
みなさんにも見て頂きたいです。 1980年代’90年代は、戦争体験した漫画家や編集者が第一
線からいなくなり、戦争を扱った作品は少なくなりました。 2000年代には増えてきて、世代交代
がおきた。 戦後世代の漫画家が描かれた漫画を紹介します。 『ペリリュー楽園のゲルニカ』は、
1975年生まれ、武田一義さんの作品。 2021年まで連載され全11巻。 TSUTAYAのレンタル
や、原爆資料館でも読めます。 ペリリュー島は、平成天皇が慰霊の旅をした、太平洋の激戦地。
カワイイキャラクターで描かれた田丸一等兵は、召集令状が来て訳がワカラナイ内に送られた。
漫画なのでワザと描写を変えた主人公の四角いメガネ。 戦時中は丸いメガネなのは、資源が少
なく面積を減らす為に推奨された。 軍靴も戦闘がない時は、すり減るので地下足袋でした。
普通の人が戦地に送り込まれ闘わされた戦争。 今、私たちが戦場に放り込まれたどうなるのか。
生存者が打ち明けた真実。 病気や餓死、仲間内での同士討ち。 命令があれば組織の中で、お
かしいなと思っても続けてしまう。 職場で上司への忖度などは、過去の戦争と今も通じる。
おざわゆき・『あとかたの街』は母親の経験を描いて、父親のシベリア抑留の話も描いた『凍の掌』。
日常の延長線上にある戦争。 学徒動員を政府が閣議決定し、中学生の女の子が学業を奪われ、
3ヵ月が半年、1年となった勤労奉仕。 教科書としても読めるので、ぜひ読んで見てください。
今日マチ子さん『cocoon』は、沖縄ひめゆり部隊の話。 17歳の少女たちの描写がすごく、絵との
ギャップがスゴイです。 時代が進んだ戦後の漫画には、体の性と心が一致しないトランスジェンダ
ー、LGBTの方が出てくる。 魚乃目三太さん『戦争めし』には長崎の原爆がでてきます。 戦争中
は貧しい人々が、いかに工夫して食べていたかという人情話で、ハンカチなしには読めない。
食を通して、過去にあっただけでなく自分にも起こりえることを描いています。
被爆者の話で、爆心地付近を歩くと臭いがスゴイ、地面が熱かったとあります。 人々が雪のような
灰で、ふかふかのスポンジの上を歩くようで音が吸収され、歩く音がしなかったそうです。
誰もが知っている歌の背景にもある、戦争の記憶。 漫画にしたのが週刊金曜日に連載されました。
森山良子さんが歌う『さとうきび畑』の、歌詞が刻まれた歌碑が沖縄にあります。 読谷村に米軍が
上陸し、80人以上が集団自決した近くの広場。 詩の中に『ざわわ』が66回、同じ本数の棒が立っ
ていて、沖縄の人たちの不屈の精神と生命力。 大地から強く伸びる、さとうきびを表しています。
坂本 九さんが歌った『幸せなら手をたたこう』は、元々スペイン民謡でした。 作詞した木村さんは、
1959年にフィリピン訪問し、迎えた村人は殺気だっており日本の憲兵隊に刺された傷を見せられ、
かつて日本軍が作物を奪い住民を虐殺した事を知りました。 家族が日本兵に殺され憎くて、日本
から誰か来たら殺そうと思っていた。 日本人の一人として罪を背負い、現地に残ってボランティア
をすることで村人の態度が変わり、忘れることはできないけれど、許す事はできると言われました。
帰国する船の中で、現地の子どもたちが歌っていた民謡に歌詞をつけ、大ヒットしました。
和解と感謝の歌。 1964年パラリンピックは、東京オリンピックの1/100の予算で困っていました。
この歌で世界を幸せにしたいと、コンサートで寄付を呼びかけ当時4800万円を全て寄付した。 今
なら約10倍くらいの価値。 入場行進曲にも使われ、世界中に広まった。 この曲に込められた平
和への想い。 12・8は太平洋戦争が始まった年。 戦後、平和を広める事を気付かせた日です。
戦中世代の漫画は主人公が死ぬのが多く、戦後世代の漫画は主人公が死なないのは、話を聞い
た体験者が生きているから。 希望で終わるモノが多い。 私もそういう作品を描いていきたい。」