朝鮮訪問団報告会


日 時 2018年11月21日(水)18:00〜19:30
場 所 長崎地区労会館・2F大会議室


主 催 長崎県日朝友好協会/長崎県平和運動センター
長崎県日朝友好協会 事務局長 (坂本 浩 長崎県議会議員)
「福岡県日朝友好協会の北朝鮮訪問団へ、長崎からも代表参加しましたので報告という形で行いま
 す。 原水禁で2008年にも被爆者の調査をしています。 本国に帰ると被爆者手帳が失効しまし
 たが、国交がなくても今はいきています。 県内における日朝友好の取り組みを行っていきたい。」


長崎県平和運動センター 議長
「護憲大会の後にLCACの夜間訓練について、九州防衛局に申し入れに行ってきました。 昨年、
 北朝鮮に行く予定が平戸市議選もあり行けず、残念でした。 本日は長年、小学校の教壇に立
 たれた事務局長が訪朝の話を行うので、みなさんと一緒に聞いていきたい。」


長崎県日朝友好協会 共同代表 (長崎県高問連 会長
「1983年4月に10日間、朝鮮を訪問しました。 南北会談で流れは変わり、米朝の首脳会談と、
 進んでいるのを見て喜んでおります。 長崎でも日朝友好協会が立ち上がり、ぜひ北東アジアの
 非核地帯について追及していきたい。 南北の平和統一、みなさんとがんばっていきたい。」

長崎県平和運動センター 事務局長
「北朝鮮には行った事がなかったので、チャンスがあれば行きたいと思っていました。 福岡県日
 朝友好協会から話があり、10月21日〜28日メンバーの一員として参加しました。 北京に前
 後1泊し、平壌には4泊しました。 福岡県代表団の団長さんは、公明党の元福岡県議の方で、
 訪朝は28回目と北への人脈もスゴイ。 他の参加者は社長さんたちや、新聞2社にTV局3社の
 マスコミ関係の方も一緒に訪朝しましたが、ただの観光になってはイケナイと注文がありました。


 平壌空港は昔は草原だったそうですが、今は綺麗で日本の空港と変わりません。 政府系の団
 体が出迎えてくれました。 街は近代的ビルが立ち並び、綺麗な風景。 朝鮮戦争で平壌の街は、
 原爆の跡のように何もなかったそうです。 夜の食事会では朝鮮外務省の幹部に、長崎で日朝
 友好協会を作った話を聞いてもらいました。 冷麺は店によっていろんな作り方があるそうです
 が、とても美味しかったです。 チョウザメの養殖に成功し、量産すればキャビアも輸出できる。


 北朝鮮では自分の車を持つことはなく、公用車かトラックにバスや地下鉄と、この街にしては車が
 少ない。 郊外へ行くと整地されているがコンクリートではなく、土で固めてある。 1時間も走ると
 自然なママの風景で、川か畑かワカラナイ。 板門店でバスから降りると多くの中国人観光客。 
 担当の軍人さんから説明があり、ビックリしたのは南側に兵隊が誰もいない、北も数人しかいない。
 もっと警戒しているかと思いましたが、誰もいなくなった。 警戒が解けてガラ空き状態。


 18万人入るメーデースタジアムは、ものスゴク大きな建物です。 1万5千人の高校生が隙間なく
 座り、演技されるマスゲーム。 交代で5万人が踊りなど芸術公演は、素晴らしく感動しました。 
 観客を含めると15万人入っていると説明を受けました。 今年は70周年でやっていたそうです。
 昔のわらぶき屋根の金日成の生家や、児童病院も案内されました。 地下鉄はとても深く掘られ、
 ひたすら長いエスカレーターで3分間も下る。 軍事面を考えていると推測された。


 朝鮮被爆者協会の会長らは、被爆者手帳を持っている方です。 反核・平和の為に結成され、事
 務局には被爆者以外もいます。 アメリカが威嚇し、共和国も国を守る為に核を持つべきと変わり、
 ICBMが成功し核保有国になり、反核と言いにくくなった。 敵対勢力から核による侵攻がない限
 り、核を使用しないし核実験もしない。 その証として核実験場を破棄したと語られました。
 2008年の調査で、在朝被爆者生存者が382人。 2018年にも調査し、生存者60人との結果。
 日本政府への要望で、高齢になり被爆者手帳を取る事は困難であると、在外被爆者に対する人
 道的な医療支援を求めると、民間団体にも被爆者支援に力を貸してほしいと述べられました。
 

 朝鮮で日本語を学ぶ生徒は、高等部1000人中たった30人。 大学ではロシア語の他20ヵ国語
 学べるが、3000人中23人しかいない。 ピーク時200人いた日本語が学科から降格している。 
 話を聞くと、日本語を勉強しても就職に役に立たないという。 日本が相手にしないと思っている内
 に、反対に相手にされない国になっていることを、私たちは早く気付くべきである。 入国管理制度
 の改正が国会で議論されているが、外国人労働者の人権まで踏み込んだ改革でないと、日本へ
 人は来ない。 日本人が思っている以上に、他国の人は日本を選ばないかもしれない。」