戦後政治の総決算を声高に叫び、第二臨調・行革が猛威を振るい電電、専売、国鉄の3公社が民営化
(1986年〜1987年)されました。しかし、電電=NTT、専売=日本たばこは全職員を新会社に自動的に
移行させましたが、国鉄だけは改革法23条を制定し、「国鉄職員は一旦全員解雇し、新会社JRはその職員
の中から採用する」という方法をとりました。
そして、1987年2月16日「あなたには、設立委員会からの採用通知きませんでした」の通告のみで、国労、
全動労の仲間に不採用通告がされました。全国で7,628名が不採用となり、4月1日からは国鉄清算事業団
雇用対策支所に収容され、自学・自習の日々が続きました。そして3年という時限立法がきれ、1990年3月31日
雇用対策支所が閉鎖され、2度目の首切りが強行されました。
1990年4月、清算事業団から解雇された1,047名の大半を占める国労組合員は、闘争団を結成し「解雇撤回
・JR復帰」を求めて闘いを続けています。
国鉄労働組合は所属組合によって採用差別されるのは不当労働行為であるとして、各地の労働委員会に
救済命令を申し立て、運動を展開してきました。
そして、北海道、九州各県をはじめ、国労が不当労働行為として救済を申し立てた全国の地方労働委員会は
「昭和62年4月1日にさかのぼって、JR社員として採用したものとして扱え」という国労全面勝利の救済命令が
だされました。長崎においても、1989年3月27日に国労の申し立てを全面的に認める同様の命令が出されました。
また、中央労働委員会(1993年12月24日)でも救済方法で後退したものの、JR会社の主張を完全に退け、
国鉄労働組合員を不採用にしたのは不当労働行為であるとし、厳しく断罪されました。長崎事件についても
1995年4月7日に同様の救済命令が出されました。
しかし、JR各社は「不当労働行為は旧国鉄が行ったことでJR各社にその責任は及ばないとして」東京地裁に命令の
取り消しを求める行政訴訟を起こし、1998年5月28日、東京地裁はJR各社の使用者責任はないとの不当判決をくだしました。
控訴審の東京高裁も2000年12月14日、東京地裁判決を支持し控訴棄却の判決。
2003年12月22日に最高裁は「JRに使用者責任なし」の判決をくだしました。
国労は、1998年東京地裁判決後、法廷闘争をさらに強化する一方、政治的解決に向けて働きかけを強めてました。
2000年5月、与党3党(自民、公明、保守)と社民党から政治的枠組みである「4党合意」が出されました。この「4党合意」
の内容は国労に対して「JRに法的責任がないこと」の承認、裁判の取り下げを求めるなどで、その評価をめぐって組織内で
論争となり、2001年の定期大会で「4党合意」受け入れの苦渋の選択を行いました。
しかし、2002年4月26日になって与党3党は、国鉄労働組合は「4党合意」を受け入れたが
@政治解決を求める一方で裁判闘争を行っている。
A一部闘争団が鉄建公団訴訟を起こしていることを理由に4党合意離脱を発表し、2002年12月6日、与党3党
は「4党合意」からの離脱を通告し、4党合意は消滅するという状況になりました。
4党合意が破棄された時点から、最高裁判決がいつ出されてもおかしくないと指摘されていましたが、
2003年12月22日に最高裁は「JRに使用者責任なし」の判決をくだしました。
裁判官3名は「使用者責任なし」、2名は「JRは採用時に不当労働行為責任がないとは言えないので
原審へ差し戻すべき」というもので多数決の判決となりました。しかし、不当労働行為の成否の判断は行うことは
できませんでした。
今回の判決でJRは不当労働行為の責任を負うべき使用者に当たらないことが国鉄改革法の定めであるとされた以上、
国鉄改革法を制定・施行した国の責任がますます重要なものとなっています。今後、国の解決責任を求めていくとともに、
国鉄改革法に基づいた当時の国鉄による差別的な名簿作成の問題などを含め、その責任を追求する取り組み、
そして政府にILO勧告を守らせる運動の強化が求められています。
最後の駅頭すわり込み
日時 2010年4月15日(木) 18:00〜18:45
場所 長崎駅前高架広場
長崎の状況
1990年4月1日、被解雇者63名(長崎39名・佐世保24名)で闘争団を結成し、アルバイト等を行いながら
「解雇撤回、JR復帰」の闘いを求めて闘いは継続されています。
地区労は、このような状況の中で国労闘争団、家族を支え、一日も早い解決をめざして取り組みを行っています。
1987年12月16日国鉄労働者の雇用と人権を守る長崎県共闘会議結成、1988年1月22日国鉄労働組合支援
長崎地区共闘会議を結成し、「ディール基金」の拠出、「連帯する会」への加入、継続、節目での集会、九州総決起
集会への参加、「署名」の取り組み、夏・冬の「物販協力」、第3木曜日駅頭すわり込みの継続等、行っています。
地区労は、引き続き国労の闘いを見守りつつ、国労闘争団・家族が『闘ってよかった』と言える解決をめざして、
支援・連帯を強めていきます。
《主な経過年表》
1986年11月28日 国鉄改革関連8法が成立。「採用にあたっては所属組合
による差別はしない」参議院付帯決議
1987年 2月16日 JRへの採用内定通知。北海道、九州中心に希望者7,628人がJRを不採用となり、
国鉄清算事業団雇用対策支所へ
4月 1日 JR発足(6旅客会社と1貨物会社)
1989年 1月20日 北海道地労委が採用差別事件で1,704人に救済命令
3月27日 長崎県地労委が勝利命令
1990年 3月31日 国鉄清算事業団が1,047人に解雇通告
1993年12月24日 中労委が北海道と大阪の採用差別事件で命令交付JRは中労委命令の取り消しを
求め東京地裁に提訴
1995年 4月 7日 長崎事件においても中労委から救済命令が出される。
1998年 5月28日 東京地裁民事11部、19部が採用差別事件について中労委命令を取り消す判決
2000年 5月30日 自民・公明・保守の与党三党と社民党が「JR不採用問題の打開について」
四党合意に達する
11月17日 ILO(国際労働機関)第279回理事会が日本政府に対して本勧告
12月14日 東京高裁が、東京地裁判決を支持し、控訴棄却の判決
2002年12月 6日 与党三党が四党合意からの離脱を社民党に通告
2003年 6月20日 ILO第287回理事会が日本政府に第5次勧告
12月22日 最高裁が「JRに使用者責任なし」の判決をくだす
2004年 6月18日 ILO理事会はJR不採用事件に関して、結社の自由
委員会報告を採択(6回目の勧告)
2005年 9月15日 鉄建公団訴訟東京地裁判決
地位確認棄却(90年解雇は有効)、国鉄の名簿
不登載の不当労働行為を認定。慰謝料1人
500万円容認(283名分。5名棄却)
2006年11月15日 ILO理事会JR不採用事件に関して、結社の自由委員会報告を採択
(1999年中間勧告以来7回目の勧告)
2006年12月 5日 採用差別国労訴訟提訴(原告国労本部、闘争団540名)
2008年 1月23日 全動労訴訟判決(東京地裁)
名簿不登載が不法行為であったことを認め、1人550万円に支払いを命じた(58人)
3月13日 鉄道運輸機構訴訟判決(東京地裁)
損害賠償請求は「消滅時効」により認められないとの不当判決
2009年 3月25日 鉄健公団訴訟判決(東京高裁)
一審判決に続き、採用候補者名簿の作成にあたって不当
労働行為を認めた。時効については、最高裁判判決時とした。
1人550万円の損害賠償を命じた。
9月30日 国労訴訟結審(東京地裁)。判決日は追って通知。
2010年 2月24日 政権交代後、政治解決に向けての和解案(雇用、年金、
解決金)約270億円を裁判中の約900人に支払い、
約230人の雇用確保をJR各社に求める与党解決案が、各新聞で報道された
2010年 3月18日 4党(民主、社民、国民新党、公明)が和解金
(1)和解金
(2)事業体への助成
(3)JR北海道・九州を中心に200人程度の雇用などの4党案を国土交通相に提出し、
これを基本に政府による解決案の検討が進められた。
2010年 4月 9日 国労側が政府和解金(昨年3月の高裁判決額)+訴訟費用等、団体加算金を含む
総額約200億を受け入れ事実上決着した。
雇用については、政府はJRへの雇用について努力するとなっている。
国労闘争4・1長崎県集会
日 時 2010年4月1日(木)18時〜
場 所 長崎県勤労福祉会館講堂
主 催 国労長崎地区本部/長崎県平和運動センター/長崎地区労
社民党、民主党県連の各あいさつに、国労九州本部からの闘争報告と
長崎、佐世保闘争団の決意表明があり、最終解決に向けて早期に至る
ように各労働組合及び関係団体組織も強く要望している。
国労闘争とは
1987年4月1日、日本国有鉄道(国鉄)が、分割(7つ)・民営化
され、JR各社に移行しました。この国鉄改革の過程で、国労や
全動労に所属する組合員に対して採用差別を行い、最終的に1047人
が解雇され、JR復帰を求めた闘いです。
採用差別事件の政治解決が実現!!
〜支援の皆さんに心から感謝致します
1987年4月の国鉄分割・民営化で行われた国労組合員に
対するJR採用差別事件が、24年目となる2010年4月9日、
政府が与党3党・公明党による「国鉄改革1047名の政治解決
について」を受け入れたことによって政治解決が実現しました。
国労解決レセプション
JR採用差別事件と闘い続けた23年
仲間とともに解決を喜び、感謝するつどい
日 時 2010年8月21日(土)18時〜
場 所 サンプリエール
主 催 国鉄労働組合長崎地区本部
1987年から2010年の記録の集大成ともいえる
『24年目の春 JR採用差別と闘い続けて』の報告集が配布された。
労働組合の争議
国鉄労働組合の闘争