被爆者連絡協議会(被爆連) 副議長 
「日韓の歴史の問題、とげとげしい関係。 どこに責任があるのか、歴史を見ないと過ちを犯す。 日韓
 の問題は危険な状況にある中、長年取り組んできた平野さんの話を伺いたい。」


原水禁日本国民会議 議長 
「日本は北朝鮮、韓国、中国とうまくいかないのか。 戦前、何をしてきたか反省がない。 畑に若い人
 がいると、ウサギでも捕まえるように捕まえる。 網でグルグル巻きにして本国に送る。 どこの誰だ
 か知らない朝鮮の人。 ろくすっぽ賃金も払わず、食事も与えずにやってきた。 私たちは何を償わ
 ないといけないのか。 ソコを整理した上で、それぞれの国とつきあって、新しい世界を築きたい。」  
平野さん(平和活動センター所長/在外被爆者支援連絡会 共同代表)『私の歩む平和への道』 
「小学校の教員をして、1985年被爆40周年に、被爆二世教職員の会を結成し、会長となり被爆二世
 の運動を始めました。 退職後に平和活動センターを開きました。 元高校生平和大使が手伝ってく
 れています。 高校生の平和活動の支援に、在外被爆者支援、強制連行問題の取り組み、被爆二世
 の運動の支援をしています。
 高校の同級生が白血病で凄まじい死に方をした。 私は生徒会長で献血運動をやって、同型の血液
 

 を毎日輸血したが、死ぬ3日前は体重が20kgきっていた。 原爆で亡くなった被爆者と同じような
 症状でしたが、彼の場合は原爆によるものという認定はされませんでした。 被爆二世に対して、国
 の責任として対策がされていない事に、同級生の死に、怒りにも似た疑問を抱かずにいられません
 でした。 やがて私は本格的に、被爆二世として活動するようになりました。 
 直接の被爆者のみならず、子や孫にまで将来に渡って不安を抱かせる原爆の恐ろしさ。 韓国の被
 爆者との出会いは、被爆二世訪問団として、在韓被爆者をお見舞に訪問しました。 


 韓国に被爆者がたくさんいてビックリし、驚いたのが運動に入ったキッカケで在韓被爆者の支援を
 しています。 いまだに被爆者手帳が取れない人がいる。 原爆を考える上で、中国人や韓国・朝
 鮮人の被爆問題は避けて通れない課題です。 韓国の被爆者・被爆二世と、日本の被爆者・被爆
 二世とで原爆に対する認識に大きな違いがある。 1987年に韓国を訪問し、日本の戦争責任に
 ついての認識の差を感じた。 韓国の被爆者は放置され、日本政府が関心を示さない事に疑問を
 持った。 私は韓国の被爆者の問題に取り組む必要性を感じた。 


 韓国原爆被爆者協会には、約2500人の被爆者が登録していたが、長崎の被爆者は79人と、少
 ないではないかと疑問があった。 原爆当時、長崎県下には7万人の朝鮮人がいたと言われた。 
 長崎周辺に3万人が存在し、被爆した2万人のうち、爆死者が1万人、帰国者が1万人と言われて
 いる。 実態はどうなっているのか、調査のための訪韓は約100回に及んだ。 その結果約200
 人程度となった。 長崎の在外被爆者は、徴用工が多くいる。 韓国全土にわたり徴用された。
 三菱など造船や炭坑に徴用され、爆心地から4〜5kmでの被爆者が多い。 桜を見る会の名簿


 のように、外国人との供託名簿は破棄されたので、徴用工の実数はあきらかでない。 韓国人の
 被爆者は調べるところから長期滞在となり、友愛病院が支援で引き受けてくれた。 被爆二世教
 職員の会の協力もあり、在外被爆者の問題が切り開かれた。
 徴用工問題とは意に反して動員され、賃金もマトモに払わず過酷な労働をさせられ、人権侵害を
 受けたもの。 日韓関係で避けて通れない課題。 韓国の最高裁での判決は、韓国の法律で日本
 企業に支払いが命じられた。 侵略戦争に対する反省と、できる限りの保障と責任をとるべきと思


 うが、安倍さんはそう思わない。 日本政府が認めない限り韓国人は癒されない。 安倍政権が続
 く限り、徴用工問題の政治的解決はないだろう。 
 日本の原爆も、アメリカが投下したので責任があり、被爆者の中にはアメリカを提訴すべきと言う人
 もいるが提訴できない。 サンフランシスコ条約で日本は放棄している。 被爆者援護も含めてアメ
 リカには請求していない。 国と国の約束に個人の請求権が残っている徴用工の問題を、こうする
 と決まっていない。 韓国にある日本企業を訴えてあり、日本政府を訴えているわけではないが、


 日韓関係は微妙となる。 韓国は敵か、敵ではない。 被害者の立場に立って双方が解決すべき
 です。 徴用工がいた川南造船所は、寮が長崎市で川を越えたら工場。 寮が被爆地になり、工
 場から歩いたら手帳がでるというバカみたいな話。 今の被爆体験者問題を象徴する話です。
 三菱兵器工場住吉トンネルは、掘ったのは韓国人。 平和公園は浦上刑務所の跡地。 平和公園
 の地下駐車場を造る時、死刑台が出てきた。 残そうとしていたが、結果的に4つに割って埋めて
 事実上、隠してしまった。 軍艦島は明治遺産の産業革命遺産とか言うけれど、明治政府の産業


 革命はアジア侵略の第一歩。 これを世界遺産にするとは、考えなければならない。
 長崎は、軍事産業都市で、徴用工として長崎に多くの韓国・朝鮮人が送られ被爆者となった。
 現在の平和公園は、原爆当時に浦上刑務所が爆心地にあり、全ての人が即死した。 中国人や、
 韓国・朝鮮人も亡くなった。 他にも長崎には捕虜収容所があり、オランダ人やイギリス人に、アメ
 リカ人にオーストラリア人が被爆した。 長崎における徴用工の被爆者の問題は解決していない。
 現在被爆地として認められていない香焼の問題もある。 問題解決のために努力していきたい。
 徴用工の4年に渡る闘いを克明に記した本を出しました。 ぜひ読んで頂ければと思います。」


長崎県平和運動センター 事務局長
「在外被爆者の被爆者手帳から始まり、徴用工の裁判に、高校生1万人署名と活動が広がり、インタ
 ーナショナルの視野で活動されてきたのをずっと見て来ました。 高校生にノーベル平和賞をもらっ
 て欲しいが、平野伸人さんがもらって欲しい。 本日は、ありがとうございました。」
平 和 ・核 問 題 学 習 会


日 時 2019年11月29日(金)18:00〜19:45
場 所 長崎県勤労福祉会館・4F第2・3中会議室


主 催 原水禁長崎県民会議/長崎県平和運動センター被爆連