銭座防空壕群の保存を求めるシンポジウム
日 時 2019年2月18日(月)18:00〜19:30
場 所 長崎地区労会館・2F大会議室
テーマ 戦争・原爆の記憶の継承
主 催 銭座防空壕を保存する連絡会
西坂銭座勤労協 幹事 (全国一般長崎合同労組)
「銭座防空壕が残っていたが、コンクリートで埋められてしまった。 痕跡もない状態。 長崎市の被
爆建造物の取り扱い基準で少なくともBランク。 当時の社会状況を示唆するモノ。 近所の高齢
者の証言で、防空壕は生活の一部だったと言う。 長崎市の行政は情けない、長期プランもなく場
当たり的な街で、若い人は魅力を失い出て行き、人口減少が最大の都市になった。」
長崎地区労 前書記長
「銭座防空壕群を残してほしいと、この1年運動を続けてきた。 NO.1の防空壕を長崎市も知ってい
る上で16日に埋めてしまった。 長崎市のやり方は姑息で卑怯。 今後、長崎市における被爆遺
構に戦争遺構をどう考えていくか、これから大事な場面に入る。」
長崎地区労 議長
「平和教育を進める上で大きな意味がある。 長崎市や教育委員会との交渉をしていく中で、当局
は戦争と原爆を切り離そうという意図を感じる。 被爆継承や核兵器廃絶ばかりを強調して、なぜ
原爆が投下されたのか歴史的事実を伝えない。 今後も一緒にがんばっていきたい。」
長崎平和活動支援センター 所長 (在外被爆者支援連絡会 共同代表)
「この1年、長崎市とまったく話が噛み合わない。 痕跡があるないの論議ではナイ。 被爆都市の
行政かと感じる。 潰す理由を考える平和行政でいいのか。 1992年に長崎市の被爆建造物の
取り扱い基準がA〜Dランクとできたが、潰す方向に使っている。 今の行政は聞く耳を持たない。
いつ走るかワカラナイ新幹線、運賃は3倍になり、時間は20分くらいしか短縮しない。 市民の声
を聞かない行政になっている。 行政が市民の声を聴く立場に立ってほしい。 長崎の戦争遺跡を
今後どのように残すか、みなさんと一緒にしっかり考え、取り組んでいきたい。」
銭座防空壕群を保存する連絡会 共同代表 (西坂銭座勤労協 会長)
「銭座防空壕群は爆心地から2kmの位置にあります。 長崎市は米国の爆撃報告書の資料に記述
がないので、残す根拠はないと主張していますが、議会で3人の被爆者の証言に、長崎市が編集
した原爆戦災史の記録に根拠はあります。 説明板の設置をすると市は回答しましたが、原爆遺
構でなく、銭座地域に防空壕があったという説明板。 メディアで報道されませんでしたが、2月1
6日朝に防空壕を金網で塞ぎ生コンで潰され、悔しさで涙が込み上げました。 戦時中に国が造る
ように奨励して現在、長崎市には456箇所の防空壕があります。 市は危険だから閉鎖する考え
方。 戦争や原爆を継承する上で、可能な限り形や物を残すのは大切。 NO.2〜4は、かろうじて
残っているので運動を続けていきたい。」
長崎の被爆遺構を保存する会 代表
「入市被爆ですけど被爆者です。 当時3歳で父が家の下に作ってくれた防空壕は、ママごとできる
空間。 被爆遺構を残す姿勢は大事で、30年近く関わっていますが、どれもコレも壊され、大きな
問題。 1992年に旧浦上刑務所の基礎部分が出てきた時に、保存する会の代表になりました。
立山や山里の防空壕に、住吉トンネルに、平和公園の防空壕の保存運動に関わってきました。
山里小の校舎裏防空壕は、補強工事で立派になりすぎて、こういう保存はオカシイと思いました。
住吉は三菱が魚雷を造っていた所。 平和公園のエレベーター工事で、行政は設計段階で防空
壕を潰す場所に設計していた。 米国の戦略爆撃調査結果で、爆心地にある防空壕がシェルター
のモデルになりました。 現状を残して見れるようになっています。 防空壕は爆撃や原爆から避
難し、戦争後も家を焼かれた人の仮住まいとして使われた。 人骨もたくさん出てきたが声を上げ
る前は捨てられていた。 写真だけとは違い、物があると訴える力が違う。 知識だけでなく、残し
ていかないけない。」
末永さん (被爆者)
「山里小に町の防空壕があった。 保存で入り口をレンガで固めたので、そのままの状態で残して
ほしかった。 山里小の真ん中の浅い防空壕で3人の先生が助かった、記録して伝えてほしい。
私がドイツに行ったのは2016年。 つまずきの石とは、ドイツの歩道に金属板が埋められてい
て、約1600の町に2万5千個が埋められている。 ユダヤ人がどこへ連行され死んだか書かれ
ている。 1つひとつの、いのちと名前があったんだとドイツの代表的なモノ。 ハノーバでは教会
も残されていて、浦上天主堂も残されていればよかった。 ベルリンの壁も残っていて、切り取っ
て展示してある。 ナチスは民主的な本を燃やしたので、空っぽの図書館。 日本では市ヶ谷の
法廷は取り壊されているが、ドイツでは被告が座った椅子も残され、なんでも証拠を残す。 ニュ
ルンクベルクの法廷には、マッカーサーと天皇、東条など日本の事も書いて展示してある。
ドイツの考え方は歴史を忘れない、歴史から学び希望を忘れない、経験を次の世代に伝える考
え方。 戦争に反対して、ドイツにしっかり学ぶ必要がある。」