山川さん (長崎市退職教職員連絡協議会) 『被爆体験講話』
「昨年、活水高校を退職しました。 被爆体験の記憶、その頃本当にあった世の中、私の子どもの頃の
話をしたい。 戦争中の東京銀座の立て看板は、『日本人ならぜいたくはできないはずだ。』という、
この時代を特徴づける言葉。 政府は贅沢品の製造販売を禁止し、贅沢だからやってはいけないと
定めた。 オマエはそれでも日本人か!この非国民が!とあった。 はだしのゲンの父親が漫画の
中でやりこめられるシーンがある。 パーマをかける事も国が禁じ、アスファルトにパーマネントを
やめましょうと書いてある。 今では考えられないが、庶民の暮らしを締め付け戦費に使う。
暮らしを犠牲にした資金作りの為の言葉だった。 贅沢は敵だと変わっていき、コレもダメ、アレもダメ
となると、自己規制が始まる。 自分を犠牲にして息苦しい世の中になるのが特徴。 自分が思った事
も口に出せない、いのちがなくなる。 戦争中、国にとって一番悪いのは戦争に反対する奴。 まずは
マスコミが一番にやられたのが特徴。 思った事が言えない世の中。 学校はどう変わったのか。
竹ヤリ訓練を中学生たちは強制させられた。 ワラを突いて先生は指導し、戦争になると学校は人の殺
し方を教えました。 小学校は当時、国民学校と呼ばれ、教室の正面には鬼畜米英と貼ってあった。
先生は、あいつらは人間ではなく正体は鬼。 ケダモノなんだと説明しました。 どんな事があっても、
こんな奴らに捕まってはならないと教えられた。 1年生の頃から戦争に備える教育が始まった。
今は平和なので平和に備える教育をするが、学校で人の殺し方を教える。 油断しているとすぐに戻り
やすい世の中。 今、戦後最大の危機で、こんな事があったとぜひ、知ってほしい。 どんな事があって
も戦争だけは、まっぴらゴメンだと反対しなさい。
グラバー園の近くに住んでいて、8歳で小学3年生でした。 サイレンが鳴ると自分の家には戻るなとあ
り、近くの防空壕に飛び込まないといけない。 怖いのは機銃掃射で、打ちまくられると体が小さく震え
ます。 ひょっとしたら今日で死ぬんじゃないかと思う。 学校に打ち込まれ、薬きょうを恐る恐る触った。
崖に面した町の防空壕は、1943年に全国で公共の防空壕を掘らせた。 誰でも入れ、やたらとあった。
8月9日空襲警報が解除になり、2回目のサイレンは鳴らなかったが、B29の音は子どもでもわかる。
一瞬目の前が見えなくなった。 炸裂した閃光で周りの風景が見えなくなった。 4km離れてても熱線
は熱い。 防空壕に飛び込んだ数秒後に爆風が来た。 上空500mで核爆発すると火の玉が直径200
mくらいで、表面温度は5〜6千度。 高温の周りの空気が膨張したのが爆風。 左側はやけどしました。
アメリカは長崎の写真を8月7日にも空撮している、という事は計画的。 城山小学校は当時、九州でも
マンモス校だった。
リメンバーパールハーバーとは、この恨みは絶対忘れない。 これでは暴力の連鎖は止まらない。
ノーモアとは、2度と被爆者を作らない私たちでだけでたくさんという被爆者の願いです。 核は1発だけ
残っても2度とはとならない。 核兵器ゼロで、核兵器がなくならないと1発でもダメなんだと言っています。
戦争をしない、させないかがいかに大事か。 北米と南米の間にあるコスタリカは約160年戦争しないで
きている。 スイスは中立宣言してから200年戦争はなし、スェーデンは200年ちょっと長い間戦争しな
いできた。 アメリカはずっと戦争してきた。 戦争をずっとやっていかないと国が成り立たない仕組み。
戦争しないで済む平和の秘密を勉強してごらんと言っています。 コスタリカには軍隊はない。 調べると
世界20カ国は軍隊はありません。 国を守るのは軍事力じゃない。 ローマ法王も言う、戦争は人間の
しわざだから、しないのは可能です。 そのひとつの発明は憲法9条。 各国で採択されれば戦争はでき
ない。 東京では8月9日と聞いても、答えられないのがほとんど一般的なんですね。 全国平均でも、
正解率は23%になってきていて1945年を知らない。 人という生物が全滅する可能性がある核兵器
が出現した年。 夏の行事でなく歴史としての認識が必要です。」